中国・云南大学中国西南天文研究所で准教授として宇宙物理学の研究に取り組む島袋先生は、いま「宇宙の夜明け」という壮大な謎に挑んでいます。しかし、その研究者人生は、誰もが予想しなかった道筋を辿ってきました。
小学生の趣味は”判例集読書”?驚きの少年時代
──先生は子供の頃、どんな夢を持っていたのでしょうか?
「実は子どもの頃から天文学者になりたいと思っていたわけではなく、検察官になりたいと思っていました。小学生の頃は、図書館で民事訴訟の判例集を借りて読みふけっていましたね」
意外な答えに、思わず聞き返してしまいます。
「特に、離婚に関する判例が面白かったんです。どういう場合なら離婚が認められて、どういう場合は認められないのか。判例を読んでいると、その背景にある人々の人生模様が見えてくる。それが不思議と面白くて(笑)」
──他の子どもたちが漫画や小説を読んでいる中で、珍しい趣味でしたね。
「そうですね。文章を読んで理解することが好きだったんです。だから判例集を読むのも、私にとってはごく自然なことでした。そのおかげか、高校生の時には現代文が得意で、全国模試で50番以内に入ったこともありました。」
相対性理論との出会いが人生を変えた
──では、なぜ宇宙物理学の道へ?
「中学生になって数学が特に好きになったんです。数式を使って物事を理解できることの面白さにハマっていって。その延長で手に取ったのが相対性理論の本でした」
──どんなところに惹かれたのでしょうか?
「物理学の知識で宇宙を理解できることが、とてもロマンチックに感じたんです。それまでは人間社会のルールを学ぶ判例集に夢中でしたが、今度は宇宙全体を支配する法則に魅了されました」
休日の図書館で過ごす時間は、判例集から科学雑誌「Newton」や宇宙の本へと変わっていきました。
「特に宇宙に関する本は、借りられる本は全部読んだかもしれません」と笑います。
挫折が導いた思わぬ転機
──大学進学は最初から天文学を?
「いいえ、第一志望は京都大学理学部でした。理論物理学の伝統がある大学で、相対性理論をもっと深く学びたいと思って。浪人して、必死で勉強しました」
──実際は東北大学への進学になりましたが、その経緯を教えていただけますか?
「模試でずっとA判定やB判定を出していたんです。でも、最後の模試でD判定を取ってしまって…。このままでは夢が潰えるかもしれないという不安から、同じく物理に強く、A判定を取っていた東北大学理学部に出願を決めました」
その選択は、結果として研究者人生の重要な転換点となります。
「東北大学の宇宙地球物理学科天文学コースは、全国でも数少ない、天文学を体系的に学べる学科だったんです。今思えば、京都大学に行っていたら、もしかしたら違う道に進んでいたかもしれません」
海外経験が開いた新たな扉
──研究者として大きな転機はありましたか?
「博士課程1年生の時に、日本学術振興会のプロジェクトでヨーロッパに行く機会がありました。オランダとイギリスに長期滞在したんです」
──その経験はどのように影響したのでしょうか?
「正直、研究成果自体は思うように上がりませんでした。でも、海外で暮らして研究する経験は、私の視野を大きく広げてくれました。言葉や文化の壁はあっても、研究への情熱があれば世界中どこでも活躍できる。そう実感できたんです」
この経験が、後のパリ天文台でのポスドク研究員、そして現在の中国・云南大学での研究活動へとつながっていきました。
偶然が導いた宇宙への道
──研究者の道を選んで良かったと思いますか?
「研究者としてやっていけるか不安な時期も多々ありました。特に修士課程の頃は研究がうまくいかず、悩んだ時期もありました。でも、特に深く考えすぎずに、目の前のことに取り組んでいたら、今の道が開けてきたんです」
──今の研究生活はいかがですか?
「宇宙の謎を追求できる今の仕事に、大きなやりがいと面白さを感じています。小学生の頃に判例集で人々の人生を覗いていた好奇心が、今は宇宙の歴史を解き明かすことにつながっているのかもしれません」
法曹界から宇宙へ─。予期せぬ転換点を経て、彼は今、宇宙最古の謎に挑み続けています。
次回予告:「宇宙の夜明け」を探る最先端研究の現場に迫ります。138億年の宇宙の歴史の中で、最初の星々が生まれた瞬間をどのように調べるのか? 21cm線を使った最新の研究についてお話を伺います。