宇宙のはじまりを探るために、1989年に打ち上げられたCOBE衛星は、宇宙背景放射が理論的に予測される黒体放射にどれほど近いかを高精度で測定しました。さらに、宇宙背景放射があらゆる方向でほぼ一様の温度を持つことを示し、ビッグバンが宇宙全体で起きていた証拠を提供しました。COBEの発見は、ビッグバン理論の確立に大きな貢献を果たし、その後の宇宙論研究においても重要な基盤となっています。本記事では、COBEが解き明かした宇宙の秘密とその後の影響について詳しく探ります。
はじめに
前回の記事でビッグバンの痕跡である宇宙背景放射の説明を行いました。
ビッグバン時の名残の光子である宇宙背景放射が、ペンジアスとウィルソンによって初めて発見されたのは1964年の事でしたが、宇宙背景放射の観測的研究はその後大きく発展していきます。
1989年には宇宙背景放射観測を目的とした衛星であるCOBE(COsmic Background Explorer)が打ち上げられました。
前回の記事でも少し触れたのですが、理論的には宇宙背景放射は「黒体放射」である事が予言されます。
(大学で物理学で学習した人向けにちょっと難しい言葉で説明すると、「宇宙背景放射が黒体放射になるのは、ビッグバン時に宇宙が熱平衡状態であった」ということです。)
宇宙背景放射温度の精密測定
COBE衛星は、「宇宙背景放射がどれだけ黒体放射に近いか?」のかを測定しました。それが図1です。
横軸は周波数、縦軸は放射の強さを表したグラフとなっており、青い線で描かれているのは理論的に予言される黒体放射の曲線です。
一方、赤い点で示されているのはCOBE衛星による観測の値です。物理学の知識を全く持っていなくても、「データ点がきれいに理論的に予言される線の上に乗っかっている」のが見て取れると思います。
物理学や天文学の実験や観測では、データ点をプロットするだけではなく、「どれぐらいの誤差があるか」を表す誤差棒(エラーバー)も一緒に表示するのがお約束なのですが、このグラフのデータを見ると、エラーバーが見当たりません。
「エラーバーを載せないデータなんてけしからん!!」と怒られてしまいそうです。
しかし、ご安心ください。きちんとCOBEのデータもエラーバーをプロットしています。
しかし、あまりにも誤差が小さすぎるので、あたかもエラーバーが表示されていない様に見えているのです。
つまり、COBEはエラーバーが見えないくらいの高精度で宇宙背景放射が黒体放射であることを測定したのです!
宇宙のあらゆるところでビッグバンが起きていた証拠
さて、話がちょっと脱線しますが、中学の地理の教科書の一番最後のページで平面上に展開された世界地図を見たことのある人は多いと思います。
しかし、地球は球形であり、各国は地球の表面に乗っかっています。つまり、教科書に掲載されている世界地図は球面上に乗っている各国を平面上に展開したものです。
同じ要領で、地球から360度すべての方向を見上げた宇宙の様子を平面に展開したのが図2です。
図2を見るとどの場所でも同じ色になっていますね。
図2は、宇宙のすべての方向を見た時の宇宙背景放射の温度を表しています。
COBEは宇宙背景放射が黒体放射に従うことを高精度で測定しましたが、それに加えて、宇宙背景放射が宇宙全体でほぼ一様の温度(約2.7K)を持つ事も明らかにしました。
つまり、宇宙に満ちている黒体放射はどこの方角、どの場所を見てもほとんど同じ温度なのです。
これは、ビッグバンが宇宙全体で満遍なく起きていた証拠なのです!
前回の記事で、「ビッグバンは宇宙の一点で起きたわけではなく、宇宙のいたる場所で起きていた」と紹介しましたが、観測的に支持される話だったわけです。
ここまでの内容をまとめると、COBE衛星は
- 宇宙背景放射が黒体放射であることを高精度で求めた。
- 宇宙のいたる場所で黒体放射の温度が約2.7Kである。
ということを発見しました。
もちろん、これだけでも十分にすごい発見なのですが、実はCOBEの大きな業績は、この後に紹介する「宇宙背景放射の温度揺らぎの発見」です。
宇宙背景放射の温度ゆらぎ測定
図3は図2と同じ様に全天を2次元に展開した図です。
しかし、図2と比べると「ムラムラ」している事に気づくでしょう。
実はこの「ムラムラ」は、宇宙背景放射の場所ごとの温度の違い(ゆらぎ)を表しています。
色が赤い場所は宇宙背景放射の温度が高くなっており、色の青い場所は温度が低くなっています。
「宇宙背景放射の温度はいたる場所で同じ温度ではなかったのか?」と疑問に持つ方もいらっしゃると思いますが、実はこの温度揺らぎは約10万分の1程度の大きさです。
すなわち、宇宙背景放射の温度は全天で約2.7Kですが、場所によって「2.7±(10万分の1)」K程度の違いがあるわけです。
「10万分の1」というのをもう少し日常の例で説明すると、身長170cmの人にとっての0.017mmが約10万分の1です。これは身長に対して髪の毛1本分の太さ程度です。
つまり、宇宙背景放射に約10万分の1程度の温度揺らぎがあるというのは、例えば日本人全員の身長が髪の毛1本程度しか違わないくらいの話なのです。
COBE衛星による宇宙背景放射の黒体放射性の発見や、温度揺らぎの発見によって、プロジェクトを指揮した研究者に2006年のノーベル物理学賞が与えられました。
それほどCOBE衛星の発見はビッグバン理論の確立に大きな貢献を果たしたのです。
温度ゆらぎがもたらす宇宙の情報
さて、宇宙背景放射の温度揺らぎはとても小さなものですが、揺らぎが持っている宇宙論的な情報はとてつもなく豊富です。
COBE衛星以降もWMAP衛星やPlanck衛星により、宇宙背景放射の温度揺らぎはより精密に測定されました。
図4を見ると分かる通り、より空間的に高分解能で宇宙背景放射の温度揺らぎが測定されています。
宇宙背景放射の温度揺らぎを解析すると、図5の様な結果が得られます。
図5は「宇宙背景放射温度ゆらぎのパワースペクトル」という名前が付いています。
右に行くほど空の小さな空間スケールの揺らぎを測定しており、逆に左に行くほど大きな空間スケールの揺らぎを測定しています。
このグラフを見て、すぐに目につくのは、いくつか現れる特徴的なピークではないでしょうか?
ピークの大きさや、ピークの現れる場所に宇宙論的な重要な情報が詰まっているのですが、この解析結果を理解するためには大学院レベルの宇宙論の知識が必要になります。
もし興味のある方は大学院で宇宙論の勉強をして欲しいのですが、結論だけ述べると、宇宙背景放射温度揺らぎパワースペクトルを解析の結果、例えば「宇宙の年齢」や「宇宙の構成要素の割合」などが分かりました。
例えば、我々に馴染みのある酸素や炭素、水素やヘリウムなど「普通の物質」、宇宙においてたった5%を占めているにすぎず、残りの約95%は「暗黒物質」や「暗黒エネルギー」などの未知の存在で占められていることが分かりました。
これらは現代宇宙論の大きな謎として残っていますが、逆に言えば、宇宙の大部分が「暗黒物質」や「暗黒エネルギー」で占められるという前提に立てば、観測結果を説明できる宇宙理論を組み立てることができます。
そして、その様な宇宙理論は「ΛCDM理論」と呼ばれ、現代宇宙論の標準的な宇宙理論となっています。宇宙背景放射の温度揺らぎの観測は現代の標準的な宇宙理論確立に大きな貢献を果たしたのです。
参考資料